薬(毒)
渾身の自意識過剰エントリ。
もし地球上に自分一人しか人間がいなくなってしまったら、ぼくはきっと寂しさに耐えられなくて、生きることをやめると思う。ぼくが幸せに生きるためには、他人のことを考えないといけない。
同じように、もし「いいおにく!」を誰も読んでくれなくてコメントとかなかったら、ぼくはきっと書く気をなくして、ブログを閉鎖してしまう。ぼくが書きたいことを書いていくためには、読んでくれるみなさんの存在が不可欠で、読み手のことも意識しなければいけない。(kiririmodeさんの理系学生日記を発見してからは、それなりに読み手を意識するようにはなりました。)
ところが、ぼくはたまに(?)読み手を無視して喜怒哀楽をストレートに表現した文章なんかを書き出すもんだから、読んでくれる人も様々な感情を抱くかもしれないなあ、と思い始めました。
たとえばぼくが「宝くじで1億万円当たりました!!!」とブログで自慢しまくると、ある人は「よかったね。今度プール付きの別荘おごってね!」と一緒に幸せな気分になれるかもしれないし、ある人にとっては「なんでアイツだけ。。。俺なんて1兆ジンバブエドルしか当たらなかったのに。。。」とか思って悲しくなるかもしれない。
たとえばぼくが「タンスの角に小指をぶつけてツメが割れてそしてその割れたツメが小指の肉にささったッッッ!!!」とか書くと、ある人は黒い腹を抱えて笑い転げるかもしれないし、ある人はとても痛いシーンを想像してしまって、一緒に痛いキモチになってしまうかもしれない。
感情を表現して書くということは、その感情が大きければ大きいほど読み手に影響を与えて、時には悪影響を与えたり、心のバランスを崩してしまったりするかもしれない。それは決してぼくの望むところではないのだけど。(ちなみに、ぼくが今まで触れたもので一番バランスを崩したのは「フルーツバスケット」というマンガですね。いろんな意味で。)
毒にも薬にもならない、日々の楽しかったことや嬉しかったことを書き綴るのもいいと思うけれど、自分の薬になるような、そして誰かの薬になるようなことを書きたいと思うから、たまにそれが毒となってしまう場合も仕方ないのかなあ、とか思ったけどどうなんでしょう。
自己弁護だけしてても成長がないので、もう少しオブラートに包んだわけの分からない村上春樹のような文章を書けたらなあ、とも思うので、ちょっと村上春樹を読み漁ろうと思います。
薬にもなって、その半分は優しさで出来ている、バファリンのようになりたい。
P.S.
ブログ書いてたら1時間くらい経ってしまった!!しかも最初書こうとしたことと違うこと書いてる気がする。
昨日さぼった洗濯して掃除しないと。
最後の、バファリンの下りは名言の予感。
メモった。
でも、村上春樹は、わけ分からんことないよ。
コメント by よんとお — 2009/2/24 火曜日 @ 1:41:39
村上春樹っぽいものではなく、「わけの分からない村上春樹」みたいなものを書いてみたい。
コメント by mokos — 2009/2/24 火曜日 @ 20:15:59