屍をのりこえた!!!
脱した!
ずっと抜け出せなかったものから脱した感があります。
今日は神戸へ行って、父の納骨をしてきました。
諸事情で墓をずっと作ってなかったのですが、去年の夏に父方のおばあちゃんも亡くなったので一緒にお墓を作ったのでした。
父の死を知ってから、実に4年半、長い時間がかかったけれど、ぼくはやっと色々消化して、受け入れることができたんだと思います。
少し昔話を書く。
高専5年のとき、編入先を選ぶにあたって、なんとなく「京大に行きたい」と思ってた。東大とかは最初から選択肢になかったし、なんとなく京大がいいなーって受けて、そして合格した。
合格してから思い出した。ぼくの父親は小さいときに離婚していなくなってしまったけれど、そういえば、「京大卒でムチャクチャ頭が良かった」らしい、と母から聞かされていたことを。そしてたぶん、それがいい印象として残ってたんだろう。
数ヶ月後、ぼくは先生に「お父さんに会ってみたい」と言った。小さいころの記憶なんてほとんど残ってないから、酒飲みでどうしようも無い人間という以外に父の記憶なんてほとんどないけれど、「俺も京大行くよ!」って言ったらどんな顔するかなーとか思ったりしてた。しかし先生から「え? あなたのお父さんは3年前に亡くなってるよ。」と言われた。
先生たちは父の死を知っていたけれど、ぼくは知らされていなかった。
ぼくは父親は生きているものだと勝手に思っていたけれど、ぼくが知らないところで勝手に死んでいて、ぼくはそのことも知らされていなくて、よく分からないけど結構ショックを受けた。離婚した親なんて、他人同然なのに。
ぼくは父の死を知っても、まだあきらめきれなかった。 すでに死んでいるっていうこと以外の情報は先生も知らなかったから、ぼくは「神戸のおばあちゃんの所へ行って色々聞いてくる」ことにした。
ぼくが小6のときに、母が精神がおかしくなってしまって児童養護施設に入って、ぼくが高1のとき、姉もなんかおかしくなって鬱になってしまった。ぼくは「あれ? 俺もなんかヤバいかも」と思ったけど、二人のことは他人だと思うことにして、自分に関係ないし自分は大丈夫だろう、と思っていた。
そしてぼくの中の最後の希望が、父親の存在だったんだと思う。もし、父親が、離婚した後に再婚してたりして、新しい家族でうまくやっていたりしたのなら、ぼくはなんだか自信が持てる。そういう希望を探すために、ぼくは神戸に行くことを決めた。
今から思うと、ぼくの頭の中はすごく楽観的で、お花畑で埋め尽くされていた。
神戸で待っていたのは、ぼくが望んだような希望ではなくて、新しい、大きな絶望だった。
父親の死因は、「自殺」だった。
ああ、終わったな、と思った。ぼくの家族は呪われていて、ぼくも呪われているんだろうな、と。
父に会いたいとか言わなければよかったのかな。死んでいることを知ったときに、深入りしようと思わなければよかったのかな。
ぼくはあの時に、自己評価や自信といったものを大きく失ったと思う。そして、最近までそこから脱することができなかったんだけど、今日、やっと脱した感があります。
葬式とか納骨とか、そういった儀式って何の意味があるんだろう、ってずっと思ってたけれど、なんとなく分かった。遺族の、気持ちの整理がつく。そのためだけに、やる価値は十二分にある。
あと、父の兄弟達(ぼくから見たらおじ・おば)に会って色々話をしてみて、ああ、ぼくはこの人たち好きだなーって思って、記憶にないしもう生きていない父が、たしかに存在したんだな、面白いおっさんだったんかな、とか色々思った。
ぼくは今日、お墓に納骨することによって、やっと、父の死を消化した。もしまた昔の感情を思い出したりして、悲しくなったり不安になってしまったりしても、きっと大丈夫。年中いつだって、土日を使って神戸に行けば、父の墓があって、お参りして、父の兄弟たちに会って色々お話したりすれば、前みたいに悪い思考のループに入ったりしない。
なんとなくだけど、ぼくはきっと、大丈夫なんだと思います。
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コメント (2)
俺は叔父の火葬に立ち会ったとき、
(マジかよw何これwこんなあっけないの?)
って思ったわ。前夜の自分の涙が嘘みたいに涙も出なかったんだよ。
だって骨だけになるんだよ。箸でツツクと簡単に崩れちゃうんですよ。マジ意味わからんよね。ほんとあっけなさとか情けなさが入り混じった初めて体験する感覚だった。
火葬という行為が理解できなかった、というか今もよく分からないが
『気持ちの整理』と言われると、すこしは分かる気がしてきたよ。
うん!大丈夫ですよ!叔父さんたち良い人でよかった。すげえ前進したね。
コメント by k7 — 2009/3/30 月曜日 @ 9:19:26
ありがとう。
おじさん達がいい人で面白かった事実が、一番の収穫だったかもしれない。
生きている人達とどうやって生きていくかが大事だと思う。
コメント by mokos — 2009/3/30 月曜日 @ 23:10:59