2009/6/23 火曜日

自分でどうにかできたこと、どうにもならなかったこと

Filed under: おにく — えーりん @ 1:10:14

このブログをいつも読んでくれてる人はなんとなく気付いているかもしれませんが、僕は過去の出来事に対して、自分でどうにかできたことと自分ではどうにもならなかったことをごっちゃにしてるフシがあります。

今は、自分でどうにかできたことと、できなかったことの区別は大体つくんですけど、その当時はよく分からなかった。

自分にどうにかできたものの代表的なものとしては試験ですね。試験は点数さえとれば僕の出自とかまったく関係なく、成績が良くなったり合格したりできるので好きでした。単に得意だったってのもあるけど。
あと、バイトとかも自分のやる気さえあればできたはずだけど、やりたいバイト(プログラミングとか)は岐阜県揖斐郡大野町というド田舎では見つからなかったし、接客とか無理だし、バイト先で家庭のこと詮索されると嫌だし、とか色々言い訳をつけてやらんかったな。やっとけばよかった。

どうにもできなかったものとしては、両親が離婚したこととか、施設に入ることになったこととか、施設での色々なストレスとか、大好きな先生が急に辞めたこととか、住んでたとこが火事で全焼したこととか。(今の自分ならどうにかできそうなこともいくつかあるけど、当時の自分には無理な話だった)

でも今振り返ると、なんだかんだいって僕は、激変する環境の中で、その条件を生かして最大限楽しむような努力をしてたと思います。施設に入って間もない時は、広いグラウンドがあったから毎日毎日ボールが見えなくなるくらい暗くなるまでみんなでサッカーやバスケをしてムチャクチャ楽しかった。そのうちグラウンドが取り壊されて小さい子や先生達と暮らすようになって、慣れるまで少し時間がかかったけど、幼児さんをいぢめてかわいがって遊んだり、先生達とたくさん話をしてもらって幸せを感じた。

その時その時で、ベストを尽くしたとは言わないまでも、僕はそれなりに対応してうまくやっている、当時はそう思っていて、それなりに楽しくて、満たされていて、幸せだった。

大学入ってからその時期を後悔するようになってしまったのは、本物の才能に出会って、自分がいかに時間を無駄にしてきたか痛感して、もっと勉強しておけばよかったなあ、勉強できるような環境だったらよかったなあとか思ってしまったからですね。

ただ、僕はそれなりに自分でできることを頑張って、それなりに満足して青春時代(笑)を生きていたということを、ちゃんと覚えておこうと思います。ベストではなかったにしろ、僕はそれなりに、うまくやってたよ。

それなりに、よろしおま!

P.S.

タイトルと文章の構成と結論とか色々グチャグチャですが、眠いので寝ます。
そういえば今日はカレーを作りました。

「ミナミの帝王」という漫画がクソ面白くて、ブログ名を一時的に「よろしおま!」に変えてます。100巻くらいありますがみなさんも頑張って読んでみてください。法律や金融の勉強にもなるよ!

2009/6/8 月曜日

ぼくが君に、贈りたいもの

Filed under: おにく,ボラ,日記 — えーりん @ 3:06:13

僕は色々なものが欲しくて、でも、手に入らなかったものがいっぱいあった。

そんな想いを解消するためには、自分と同じような境遇の子に、僕が欲しかったものをあげるのがいいのかな、とか思っていました。
でも、僕が欲しかったものと、その子達が欲しいものは違うかもしれない。

じゃあ、その子が欲しがっているものを聞いてあげて、それをあげればいいのか、とも考えました。
でも、一時的な関係の中で、一時的に欲しいものをあげたとしても、それがその子の将来のためになるか分からない。どちらかというと、スポイルしてしまって悪影響を与えかねない。

じゃあ、その子が自分の手で自分の欲しいものを手に入れられるように、それを手に入れるための方法・手段を教えてあげるといいかもしれない。
でも、欲しいものによって、手に入れる方法・手段はそれぞれ異なると思う。

どうすればいいんだろうか。
今の僕が出している結論は、こうです。

その子が欲しいものを自分自身の力で手に入れるために、何をやればいいのかを自分で考えて実行する力をつけてあげたいと思う。

「偉そうなこと言っておいて、お前(mokos)はどうなんだよ!」 とか突っ込まれそうですね。
「人に教えるのは、お前自身がもっと成長してからやれよ!!!」 とか。
自分でも思わないではないです。

確かに、自分もできていないことがたくさんあって、人に構っている場合じゃないかもしれません。(例えば、今部屋がすごく散らかってます。人の引越しとか手伝ってる場合じゃなかったw)
それに、僕が最近気付いて重要だと思っていることは、大したことない気付きだったりするかもしれません。
だけど、断言できる。僕が今知っていること、分かっていることを、子供の頃から普通に知っていたなら、間違いなく、僕の人生は1000%向上した。(0の数は書き間違えてません)
昔の自分にとってものすごく価値があったものを出し惜しみしていられるほど、人生長くないです。

今できることは、自分が思っている以上にたくさんあって、それをやるかやらないか、それだけだと思います。

「ウホッ!いいおにく!」

「やらないか」

P.S.

記事とは関係ない私信です。
2つ目の羨ましがられるポイントは、「強烈なバイアスをかけることができる」ことかなあと思いました。バイアスかけるの大好きでしょや?
バイアスの結果、(ある意味強引な)説得力が生まれる、と考えるとしっくり来ますね。

2009/5/12 火曜日

思考回路をつくりかえる

Filed under: おにく — えーりん @ 22:05:15

他人から見るとくだらないと思いますが、自分にとってかなり重要なテーマです。時間があるときにまた書き直すかも。

ぼくはもう年齢的にはいい大人(というかオッサン)なので、自分の行動は自分が完全にコントロールできるはずです。
しかし、本当はもっとこうしたいのに、なぜか行動に移せない、そういうことが未だにたくさんあります。

ぼくは、未知のことにチャレンジしたり、できないことを努力してできるようになる、ということがまったくできなかった。(最近少しずつできるようになってきたけど)

じゃあ、なんでそれができないのか、と考えると、今までの人生で作られた思考回路が、理想的な感じになっていなかったからだと思います。
理想的には、未知へのチャレンジを見つけては「オラぁワクワクしてきただ!」と言って、できないことはコツコツ努力してだんだんとできるようにして、成長を喜びながらどんどん前へ進んでいきたい。小学生でも分かるし、実践してる子もたくさんいることでしょう。
しかしぼくはチャレンジすることに恐怖して、できないことはできないままにほったらかし、そんな風に思考回路が作られてしまっていた。

自分自身に何か問題があるとき、他人のせいにばっかりしていては成長できませんが、そうなってしまったきっかけ・原因というのは自分以外の誰か、子供時代の環境などにあることも結構あると思います。

ぼくの場合は幼いころに、いろんなことをやってみたい、行ってみたい、アレが欲しい、コレが欲しい、という好奇心やチャレンジ精神というものを、ことごとく否定された記憶があります。また、特殊な環境で育ったため、他人が持っているものを自分が持っていないのは常だったし、自分が傷つかないように、すぐにあきらめる癖ばかりついてしまっていた。
そうして作られた思考回路は、「余計なことに興味を持つな。やる気がないフリをしとけ。」
小さいころに作られた思考回路を作りかえるのは、たぶん、とても大変なことです。他人から見たら簡単に変えることができるように思えることでも、過去の嫌な記憶が無意識的によみがえって、行動をさまたげる。本当は、もっと、あんな風に生きたいのに。

憶測でしかないけど、自分の思考回路を作ったきっかけの出来事というのは、結構思い出せます。
思い出せたなら、「過去にはあんなことがあってそういう考え方になってしまったけど、今はもう昔の自分ではないから、自分が考えたいように、したいようにしていいんだよ。今からでも遅くないから、いろんなことに興味を持ってやっていいよ。」と自分に言い聞かせて、小さなことでいいから行動して、小さな成功を少しずつ積み重ねて、前へ進んだことを喜んで、友達に報告したりする。小さいころの嫌な記憶を、最近の楽しい記憶、成功した記憶で少しずつ上書きしていく。

ぼくは、大学院を辞めたときから、ずっとそんなようなことをやってきたんだと思います。まだ全然途中だけど。
もう24年間も生きてきたけど、まだ、思考回路は意識的に作り変えることができるし、考え方も言動も行動も、自分の未来も変えていける。 だって、幸せになりたいもん。

P.S.

ディスプレイが広くなったので、長文を書きたくなりました。

2009/4/25 土曜日

no love no life

Filed under: おにく,日記,映画 — えーりん @ 11:50:56

という映画のDVDを見ました。

ぼくは最近異常に目覚めがよくて、目覚ましがなる前に、5時とか6時にパッと目が覚めてしまいます。二度寝もしない、というかできない。
これはたぶん、今好き(になりかけ)な人がいるからだと思いますね。起きてる時間が楽しいから、寝ているのがもったいない。

映画の内容は、なかなかよかったです。
やっぱり人生を生きるには、独りでは孤独すぎるなーとか思った。
家族っていいな。
あと最後にちょっとしたサプライズもあってよかったです。ドッキリしました。

今回のDVDは、音声を英語にして、字幕も英語にして見てみました。
分からん単語とかも結構あるけど、話のフンイキからなんとなく意味は分かったりする。文章の意味が分からんくても、映画は作り方が上手だから、音楽とか表情で何が起きているかは分かる。
赤ちゃんは親の会話とか表情とかをみて言語を覚えるから、こんな感じの勉強法もアリかと思います。
でもやっぱり英語だけだと分からんところも結構あって、それが大事なシーンだったりしたときは、巻き戻して日本語字幕を読んだりしました。日本語と英語の字幕両方出したいです。

P.S.

小説とか映画とかを見ると、家族ネタが異様に多いです。それだけ大事だし、みんないろいろ不満もあるのかもしれません。

そして、ぼくはまた一つ、フタをしていた過去を思い出しました。

ぼくは小6で施設に入ってから、「施設がぼくの家なんだ」と決め付けて、ぼくは自分が住んでいたボロアパートのこととか、家族のことを、完全になかったものと決め付けた。
でも、今ぼくがこんなにも家が欲しい、家族が欲しい、家庭が欲しいと思うのは、きっと、施設に入る前の生活があったからだと思う。

帰る家があって、家に帰ったらおいしい晩御飯が食べられて、みんなでくだらないテレビを見たり話をしたりする、そんな、ありふれた日常を、ぼくは、ずっと追い求めてきて、そしてこれからも追い続けていきます。今までは心の中で求めてきただけだったけど、これからはガンガン行動していきます。

ぼくはここ1年くらい、記憶のフタを開けて、チラ見して、目をそむけて閉めて、という作業を、続けてきました。
それを続けることができたのは、それをブログに書き出して、「きっと誰かが見ていてくれるから、大丈夫」と思えたからです。

もしかしたら誰も見てくれてないかもしれないけど、見てくれた人にはありがとうの気持ちでいっぱいですね。

ぼくも、誰かのお手伝いがしたいと思います。もしかしたら、カウンセラーとかになるのがいいかもしれませんね。
心を痛めて、誰かに聞いてほしくて受け入れてほしくて、抑えきれない感情の中で溺れている人が、子どもが、たくさんいると思うから。

2009/4/18 土曜日

ゆっくりと、浮き上がるのを待つ

Filed under: おにく — えーりん @ 11:09:29

泳げなかった理由も分かりました。ぼくは水の中に顔をつけて苦しいのが嫌なので、なるべく早く顔をあげようとしていた。そうすると、水の深いところに頭が あるときに頭を上げるから、結構疲れる。しかし伸びを長くやってプカーッってしばらくやると、頭が勝手に水面近くまで上ってくる。これは手をちょっと動か せば楽に顔を上げて息継ぎをすることができますね。

                       - いいおにく「お湯は友達!

これを書いたあとに、大事なことに気がつきました。

気分がどうしようもなく落ち込んでいるときに、いろいろ頑張ろうとすると、何事もうまくいかないし、とてもしんどいですね。

そういう時は、外に出てたいようの光を浴びたり、おいしいものを食べたり、友達と遊んだり、ゆっくりと、気分が浮き上がってくるのを待とう。
そして、浮き上がってきたら思いっきり息を吸って、また頑張ればいいんじゃないかな。

過去の自分にも言いたいですが、しんどいときは、ゆっくりしてていいから、あんまりムリすんな!!!!!!

P.S.

「ゆっくり」という言葉は、擬音みたいですね。「ゆっくり」してる感じがひしひしと伝わってきます。「ゆったり」も。
日本語というものは本当にたのしいです。

HTML convert time: 0.919 sec. Powered by WordPress ME